おっぱいインザドリーム

大量のおっぱいに囲まれて、右にも左にも手を伸ばせば、おいしそうなおっぱいがそこら中にある。

こんな幸せなことはないだろう。

 

 

きっとそんな夢を見ているのである。

我が息子である。

 

最近、生後10ヶ月を過ぎたころである。

しかし、生まれてまもない頃から寝ているときに、ふと笑い声をあげたり、ニヤニヤ笑ったりすることが度々ある。同じく、いきなり泣き出したり、うなされるような声を上げるときもある。

それをきっかけに起きる事もあるし、そのまま寝続けることもある。

まぁ、何をどーしたって可愛いものにかわりなく、俺はその寝顔を見る度に、幸せが具現化されたものを見ている。

しかし、教育者の端くれであることから、気になるのだ。

この人間の成長過程が。

なぜ、笑う。

夢でも見ているのか。

 

ほんの最低限であるが、教員免許取得の過程で教育分野の知識は学んだ。それも俺にとっては工学系の進路を選び続けてきたので、刺激的で楽しくて、やっぱり教師になりてー!と思わせた授業のひとつであるから

ほんの最低限であるが、覚えていることもある。

 

生理的微笑という行動を赤ちゃんがとるのは知っている。

赤ちゃんは突然なんの関係もなくニヤっと笑うのだ。

これを生理的微笑といい、微笑をホホエミと読むのかビショウと読むのかは忘れたけど、

一説では、親、特に父親に母性を引き出すための行動であるとかないとか学んだ気がする。

赤ちゃんは生き延びるために可愛がられるように働くのだ。

それだけでもすごい。

 

でも、自分が今目の当たりにしているこの笑顔はそれとは違う気がする。

いや、生理的微笑が寝ている間にも起こる現象なのかまでは知らないが、

彼は確実に夢を見ている。

そんな気がする笑顔で寝ているのだ。

 

 

 

 

生後半年ほど経ったころだろうか、一緒にお風呂に入っているときに俺が水面をパチパチと手で叩いたら

それをマネして、子どもも水面をパチパチやりだした。

なんと、そんなことがもぉできるのかとテンションがあがり、

もちろん何回もやってもらえるように俺は水面を叩き続けた。

おって叩いてくれるときもあったし、無視されるときもある。

機嫌があるので難しいのだ。

しかし、もぉなにかマネができるとわかれば、色んなことをマネさせてみたくなるのが親心で

こっちは必死にあれをやらそか、これをやらそかと忙しく感じているときに

小児科でいわれた。

 

子どもが大人のマネをするのは生後10ヶ月頃からですよー。

 

あ、そーなんや!

でも、うちの子はもはやマネごとができるってことはなかなか天才肌なんじゃないか。

そんなことを思っている矢先に先生が仰った。

 

あ、でも、ご両親がマネしてると思ってもらうのは自由なんで。

ただ、10ヶ月よりも前では絶対にマネしていません。偶然ですねー。

 

 

おーおー。悪意ないか?

アホやん。

親バカやん。

恥ずかしいやん。

こーやって我が子は、よその子よりも何か特別なんじゃないか。優れているんじゃないかって

平凡な親である程思ってしまうのであろうか。

すまぬ、倅よ。

妙な期待を持たさぬほうが絶対にいい。

勘違いは禁物だ。

襟を正さねばならない。

 

 

 

 

しかし、いつみても寝顔は可愛い。

起こそうか。

起きひんかな。

ついさっき苦労させて寝かしたところなのにそんなことを思う。

 

あ、また笑った。

そもそも、つい最近まで目もまともに見えているかわからない状態でなにを笑うことがあるのか。

君が見ている夢には誰が出ているのか。

両親以外記憶している人はいるのかい?

いや、親ですら記憶しているのかい?

 

となると、やっぱり彼の夢にはおっぱいしか出てこないことになる。

彼のたった数ヶ月の人生にはまだ、おっぱいくらいしか夢に出せるものがない。

おっぱいの夢でこんなにニヤニヤしているのだ。

相当数のおっぱいに囲まれているに違いない。

おっぱいパラダイスやな。

結構なことだ。

そのおっぱいの全てを飲み干して大きくなって欲しいものである。

おやすみ。